Fior 500 をご存知ですか

Fior 500。
この名前に、どこか見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。

1980年代のロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス。
現在の MotoGP にあたる最高峰の舞台では、ヤマハ、ホンダ、スズキといった大メーカーのワークスマシンが、激しい戦いを繰り広げていました。

その一方で、当時の500ccクラスには、いまのレース界には少なくなった魅力もありました。大メーカーだけでなく、小さなコンストラクターが独自のアイデアで最高峰へ挑む余地が残されていたのです。

その代表としてよく知られているのが、フランスのエルフ(elf)です。ハブセンターステアリングなどの画期的な車体構成で、従来のモーターサイクルとは異なる可能性を世界に示しました。
そして、同じフランスからもうひとつ、異彩を放つ500ccレーサーが現れます。

それが、クロード フィオールが作り上げた Fior 500 です。日本では、クロード フィオールという開発者の名よりも、独創的なフロントまわりを備えた Fior 500 の姿として、その記憶が残っている方も多いでしょう。

一般的なテレスコピックフォークではない、独特のフロントまわり。前輪を支えるリンク機構。当時のレーシングマシンのなかでも、その姿は際立って個性的でした。 大きなプロジェクトとして知られるエルフに対して、Fior 500 にはクロード フィオールというひとりの技術者の個性が、より濃く表れていました。大メーカーの方法をなぞるのではなく、自らシャシーを組み、前輪の支え方から考え直し、最高峰クラスに挑む。そのガレージスピリットこそ、Fior 500 の特別な魅力でした。

クロード フィオールという技術者

クロード フィオールは、フランス南西部のノガロを拠点に活動した技術者であり、レーシングマシンのビルダーでした。大企業の開発室にこもるタイプではありません。自ら考え、自ら溶接し、自ら形にする。そして、レースの現場でその答えを確かめる。クロード フィオールは、そんな職人肌の技術者でした。

21歳でアルミ加工の仕事を始め、4輪レースカーのシャシー製造などで腕を磨きます。しかし、彼の情熱の中心にあったのは、4輪ではなくモーターサイクルでした。自身もライダーとしてレースに参戦していたフィオールは、走れば走るほど、一般的なテレスコピックフォークに限界があるのではないかと感じるようになります。大きなきっかけとなったのは、1978年のル・マン24時間耐久レースです。ヤマハ XS1100 をベースにしたマシンで出場した際、フィオールは前輪まわりの不安定さに悩まされます。もっと良いフロントエンドを、自分で作れるのではないか。4輪レースカーの世界で学んだダブルウィッシュボーンの考え方を、モーターサイクルの前輪支持に応用できないか。ここから、のちに歴史に名を残すフィオール式フロントサスペンションの物語が始まります。

フィオール式サスペンションとは何か

世の中の多くのモーターサイクルは、左右2本の筒が伸び縮みするテレスコピックフォークで前輪を支えています。シンプルで信頼性が高く、現在でも標準的な構造です。しかし、フィオールはこの当たり前を疑いました。強くブレーキをかけたとき、フロントは大きく沈み込みます。フォークは、前輪を支える、路面からの衝撃を吸収する、ハンドル操作を伝えるという複数の役割を同時に背負っています。だからこそ、激しいブレーキングでは車体姿勢の変化も大きくなります。

フィオール式は、この役割を分けて考えます。

  • 前輪はリンク機構で支える。
  • 路面からの衝撃は、独立したショックユニットで受け止める。
  • ハンドル操作は、操舵用のリンクを通じて前輪へ伝える。

こうすることで、ブレーキング時のノーズダイブを抑えやすくなり、フロントまわりの安定感を高めることができます。また、操舵とサスペンションの役割を切り離すことで、ライダーに伝わる路面からの情報も整理しやすくなります。つまり、Fior-type は変わった見た目を狙った仕組みではありません。走りを突き詰めた結果、あの美しく合理的な形にたどり着いたのです。

ボクサー デザイン、そして現代のブラフシューペリアへ

その後もフィオールは、モーターサイクルや4輪の試作開発など、既存の枠にとらわれないものづくりを続けていきます。そのなかで重要な存在となるのが、ティエリー アンリエットです。

ティエリー アンリエットは、フランスのデザインスタジオ、ボクサー デザインを率いてきた人物であり、現在のブラフシューペリアを率いる存在です。ボクサー デザインは、外観だけを整えるデザイン会社ではありません。独創的なモーターサイクルやプロトタイプの設計 製作を手がけ、車輌全体の構成、フレーム、造形、コンセプトまで含めて、モーターサイクルそのものを作り上げる存在でした。そして、そのボクサー デザインのプロジェクトに、クロード フィオールの技術が深く関わっていきます。

  • ボクサー 1000 ヴェクトゥール
  • スパルタカス
  • グラディアトゥール
  • ランボルギーニ デザイン 90

これらの個性的なモーターサイクルの背景には、アンリエットのデザイン感覚と、フィオールのシャシー技術が重なっていました。なかでもランボルギーニ デザイン 90 は、ふたりの関係を知るうえで象徴的な一台です。ランボルギーニの名を冠したこの特別なモーターサイクルは、ボクサー デザインが設計 製作に関わり、そのハンドクラフトのアロイフレームには、クロード フィオールの技術が関わっていたとされています。フィオールとアンリエットは親しい友人であり、その関係は現代のブラフシューペリアになってから始まったものではなく、長年のものづくりの現場で育まれてきたものでした。

思想を受け継ぐ、現代のブラフシューペリア

2013年のミラノショーで、現代に蘇ったブラフシューペリア SS100 が発表されたとき、そのプロジェクトの中心にいたのはティエリー アンリエットでした。新生ブラフシューペリアは、過去の有名ブランドの名前を借りただけの存在ではありません。ジョージ ブラフが掲げた理想を、現代の素材、加工技術、設計思想によってもう一度形にするブランドです。

だからこそ、そのフロントまわりに Fior-type フロントサスペンションが採用されていることには、大きな意味があります。ティエリー アンリエットのものづくりの歩みをたどると、そこにはクロード フィオールの技術と思想との接点が確かに存在していました。Fior-type という名は、遠い過去の技術者の名前をただ借りたものではありません。アンリエット自身の歴史の中にあったフィオールの技術が、現代のブラフシューペリアの中で新たな形を得たものと見ることができます。

機能が、そのまま美しい形になる。
ブラフシューペリアのフロントエンドを眺めると、まずその造形美に目を奪われます。

超精密に削り出されたアルミの構造体。
鈍く輝くトライアングルリンク。
緻密に配置されたモノショック。

それらはすべて、飾りではありません。走るための機能部品です。

多くのモーターサイクルでは、フロントサスペンションは見慣れた機能部品として存在しています。しかしブラフシューペリアでは、フロントサスペンションそのものが、車輌全体の個性を語る主役になっています。飾るために複雑にしたのではありません。走りのための構造を突き詰めた結果、この美しい造形にたどり着いているのです。ここに、ブラフシューペリアの哲学があります。

速さだけを語るのではなく、構造そのものに美を宿すこと。希少性だけを誇るのではなく、なぜその車輌が特別なのかを細部で証明すること。ブラフシューペリアのフロントまわりを見ることは、サスペンションを見ることと同じではありません。それは、かつてひとりの技術者が前輪に託した理想であり、受け継がれた思想の輪郭を見ることでもあります。

Fior-type フロントサスペンション。
ブラフシューペリアを特別な車輌たらしめる、静かで力強い技術の証でもあります。